2026年 02月 15日
杉田久女没後80年 俳句を書作品にすること

「なぜ俳句を書作品にするのか」というご質問もいただきました。
そもそも、俳句を書こうと思ったのは、8年前の個展開催にあたり、読める作品を書いて書に興味を持たない方にも興味を持っていただきたいと思ったからです。
書道をやっていない方が書道の公募展に行って抱く感想は、ずばり①「読めない」と②「同じような作品ばかり」です。
①の「読めない」のは「字」。行草や篆書・金文は何となく力強さとか流れの美しさとかは感じるけれど、今、私たちが普段使う字とは形がかけ離れているために字自体が読めません。といって読める楷書、隷書作品は一字一字は読めるけれど漢字の羅列では全体の意味が分からない、となります。漢文だからです。仮名作品もなんか美しいとは感じるけれど変体仮名で書かれているのでこれも馴染みが無く和歌をたくさん知っていなければ読めません。
②の「同じような作品ばかり」は、本格的に作品制作の道を歩む人は大体、会派に所属していたり、先生について学んでいます。会や先生の風が好きで目標にすると自然にそれに近づいていくのも致し方のないことでしょう。
さて①の「文字が書いてあれば読みたい、意味が知りたい」というのはごく自然なことだとは思いますが、それだけなら書展会場に足を運ぶ必要はありません。書道展に字を読みに来ているの?と思ってしまいます。
書家に求められているもの、書家がやるべきことは一体何なのか、かなり深い問題です。
ひと言でいえば、書いてある内容とその書表現の一致、ということかと思います。ただ、書表現から感じ取るものは受け止める側に委ねられる部分でもあります。
久女さんの句とその人となりに寄り添った書、果てしない道のりとは思いますが、それを目指して作品を書き続けたいと思います。
by kurobaru
| 2026-02-15 10:44
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